生没年 | 生没年不詳 |
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時代 | 戦国時代 |
所属国 | 趙 |
<史実>
藺相如(りんしょうじょ)は中国戦国時代末期の趙の名宰相。
趙の宦官の長官・繆賢(びゅうけん)の門客であった藺相如は、和氏の璧(かしのへき)の一件での功績により、上大夫に任命された。
その4年後の紀元前279年、秦は趙に攻め入った後、趙に使者を送り、秦と趙の和平のため黽池(べんち)で会見しようと趙の恵文王(けいぶんおう)に伝えた。
黽池は秦の国内であり、しかも国境から遠く離れているため、万一のことがあってはと恵文王は秦を恐れて出席を渋ったが、廉頗(れんぱ)や藺相如が「行かなければ趙の国は弱く、臆病だと思われるでしょう」と諌(いさ)めたため、恵文王は藺相如をお供として黽池へと赴くことになった。
黽池での酒宴の席で、秦の昭襄王(しょうじょうおう)は恵文王に琴の演奏を所望した。恵文王がこれに応じると、昭襄王は記録係に命じて「某年某月日、秦王が趙王に琴を弾かせた」と記録させた。(こうすることで暗に秦のほうが趙よりも格上であると示した)
これを見た藺相如は、昭襄王の前に進み出て「秦王は鼓の名手だそうで、ぜひ拝聴したい」と言った。
昭襄王はこれを無礼だと怒ったが、藺相如はさらに「私と秦王は僅か5歩の距離です。私の首の血を秦王に浴びせましょうか」と言った。(断れば刺し違える覚悟であると脅した)
秦王の側近が藺相如を斬ろうとしたが、藺相如が一喝すると、その気迫のあまり動けなかった。
そこで、昭襄王がやむなく一度だけ鼓を打つと、藺相如は「某年某月日、趙王が秦王に鼓を打たせた」と記録させた。
つづいて秦の臣下たちが「趙の15城を献上して、我が王の長寿を祈ってほしい」と言うと、藺相如は「秦の咸陽(かんよう)を献上して、我が王の長寿を祈ってください」と返して黙らせた。
こうして藺相如は機転を利かせ、恵文王や国を守った。
趙に帰ると、今までの功績により、藺相如は上卿(じょうけい)に任命された。
この後、藺相如は廉頗と「刎頚の交わり(ふんけいのまじわり)」を結んで趙を守り、2人が健在なうちは秦は趙に攻め込むことができなかったという。
<キングダム>
かつての趙の三大天の一人。
回想シーンのみの登場。