生没年 | ?~紀元前240年 |
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時代 | 戦国時代 |
所属国 | 秦 |
<史実>
蒙驁(もうごう)は中国戦国時代末期の秦の将軍。
蒙武(もうぶ)の父、蒙恬(もうてん)と蒙毅(もうき)の祖父。
斉の出身。
昭襄王(しょうじょうおう)の代から秦に仕え、上卿(じょうけい)にまで昇進した。
紀元前250年、蒙驁は将軍に任命され、韓に侵攻した。成皋(せいこう)と滎陽(けいよう)を占領して、秦はここに三川(さんせん)郡を置いた。
その翌年には魏の高都(こうと)と波(は)を奪い、さらに、趙を討って37城を陥落させた。
紀元前247年、魏の信陵君(しんりょうくん)が五カ国連合軍を率いて秦を攻めてきたのを、王齕(おうこつ)と迎え撃つが敗れる。
紀元前244年、韓の13城を落とし、その翌年には、魏の畼(ちょう)と有詭(ゆうき)を落とした。
紀元前242年、魏を攻めて20城を奪い、ここに東郡を置いた。
紀元前240年、竜(りゅう)、孤(こ)、慶都(けいと)を攻めている最中に陣没した。
他の6国からは鬼のように恐れられたという。
<キングダム>
“白老”の名で呼ばれる秦の大将軍。
戦では決して奇をてらうことはせず、堅実に相手を討ち果たす。
また、攻城戦を得意とする。
黒い噂を持つ王翦(おうせん)と元野盗の親玉である桓騎(かんき)を副将に置いていることから、優れた者であれば出身などは関係無く採用する蒙驁の懐の深さがうかがえる。