
紀元前215年、秦の始皇帝は碣石山(けっせきざん)に行ったときに、燕の方士・盧生(ろせい)に、仙人の羨門高(せんもんこう)という者を探してくるよう命じました。
海上の旅から戻った盧生は、『録図書(ろくとしょ)』という預言書を持ち帰ってきました。
その中には「秦を滅ぼす者は胡(こ)なり」という言葉が記されていました。
「胡」とは主に北方の異民族を指す言葉であったことから、これを見た始皇帝は蒙恬(もうてん)に命じて出兵させ、河南(かなん)の地(現在の陝西(せんせい)北方、オルドス地方)を制圧しました。
しかし、始皇帝の死後、秦帝国はわずか3年で滅んでしまいました。
始皇帝の後を継いで二世皇帝となった胡亥(こがい)は、宦官趙高(ちょうこう)の意のままに操られ、悪政を敷いて天下の混乱を招いたためです。
つまり「秦を滅ぼす者は胡なり」という言葉の中の「胡」とは、北方異民族ではなく胡亥のことを示していたのです。
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