王 賁:オウ ホン

生没年 生没年不詳
時代 戦国時代~秦帝国
所属国

<史実>

王賁(おうほん)(または「おうふん」ともいう)は中国戦国時代末期~秦帝国時代の秦の将軍。

王翦(おうせん)の子、王離(おうり)の父。

 

紀元前227年、燕の太子丹(たん)が送り込んだ刺客荊軻(けいか)による秦王政暗殺未遂事件が起こり、秦王政はただちに王翦に命じて燕を攻めた。

翌年の紀元前226年、王翦は王賁と共に燕の都・薊(けい)を落とし、燕王喜(えんおうき)と太子丹は遼東に敗走した。

紀元前225年、王賁は魏を攻め、黄河から水を引いて魏の都・大梁(だいりょう)を水攻めにした。魏王仮(ぎおうか)は降伏し、魏は滅んだ。

紀元前222年、王賁は李信と共に燕の遼東を攻め、燕王喜を捕らえて、燕を滅ぼした。さらに、代を攻めて代王嘉(だいおうか)を捕らえ、代を滅ぼした。

紀元前221年、王賁は李信、蒙恬と共に南下して斉に攻め入り、都の臨淄(りんし)を包囲すると、斉王建(せいおうけん)は戦わずして降伏し、斉は滅びた。

紀元前219年、通武侯(つうぶこう)に封(ほう)ぜられた。

 

<キングダム>

キングダムでは、玉鳳隊(ぎょくほうたい)という特殊三百人隊の将として登場する。

初登場は第180話。

幼いころからのたゆまぬ努力によって磨かれた王賁の槍の腕は見事なものであり、特に独特の軌道で相手に襲いかかる技“龍指(りゅうし)”は初見で見切ることは非常に困難である。

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