燕の昭王:エンノショウオウ

生没年 ?~紀元前279年
時代 戦国時代
所属国

燕の昭王(えんのしょうおう)は中国戦国時代の燕の王【在位前312~前279】

 

昭王の父である燕王噲(かい)は国政を宰相の子之(しし)に任せっきりにして、表舞台から離れ隠退同然の生活を送っていた。このため子之が国事の全てを握ることとなり、諌(いさ)める者はたちまち捕らえて処刑され、国内は大いに乱れた。

これを憂(うれ)えた太子平(へい)(のちの昭王)は斉の湣(びん)王の後押しもあり、反対派を集めて子之討伐の軍を挙げた。

このため燕は長期にわたって内乱状態となり国はさらに乱れた。この内乱の隙を見て、斉の湣王は太子の援軍と称して軍を送り込み、子之軍、太子軍共に攻められて、燕王噲は討ち死にし、燕は斉の支配下に置かれることとなった。

 

燕はそれから2年間斉によって支配され、2年後、太子平は斉に服属することを条件にしてやっと王に即位することを許された。

昭王は斉を討つべく、賢者を招いて郭隗(かくかい)という者に「なんとか優れた人材を集めて国家を再興し、父の恥をそそぎたい」と相談した。

すると郭隗は「それならばまず私(隗)よりお始めください。私を優遇すれば、王の私に対するその扱いの噂を聞き、それ以上の人物が千里の道も苦にせず駆けつけて参るでしょう」と言った。(「隗(かい)より始めよ」の故事)

それを聞いた昭王は郭隗のために豪邸を立て、師と仰いで優遇した。この噂を聞きつけて、昭王のもとには斉の陰陽家の学者で高名な鄒衍(すうえん)、趙の劇辛(げきしん)、魏の楽毅(がくき)といった優れた人材が各地から集まった。

 

そして、紀元前284年、昭王は楽毅を上将軍に任命し、楽毅率いる秦、楚、韓、趙、魏、燕の6国連合軍で斉を攻め、斉に大勝して念願の報復を果たした。

 

<横山光輝史記>

第12話に登場。

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