李 斯:リ シ

生没年 ?~紀元前208年
時代 戦国時代~秦帝国
所属国 楚→秦

<史実>

李斯(りし)は中国戦国時代末期~秦帝国時代の秦の宰相。(郎→長史(ちょうし)→客卿(かくけい)→廷尉(ていい)→丞相)

楚の上蔡(じょうさい)の出身。

 

年若くして楚の小役人となるが、ある日、厠(かわや)で人の糞尿を食らい人の姿を恐れて生きる鼠(ねずみ)と、倉庫で穀物を食べ人の姿に怯えることなくのうのうと生きる鼠を見て、「いる場所の違いだけでその人間の価値が決まってしまうのだ」とわが身を嘆いた。

そこで儒家の荀子(じゅんし)に師事して学んだ。同門には『韓非子(かんぴし)』の著者で知られる韓の公子韓非(かんぴ)がいた。

李斯はその後、秦に活躍の場を求めて呂不韋(りょふい)の食客(しょっかく)となり、呂不韋に才能を認められて推薦を受け、秦王政に仕えた。

 

紀元前221年、秦が中国を統一すると、李斯は丞相にまで昇り詰めた。

始皇帝から重用された李斯は、郡県制の施行など数々の献策を行い、秦帝国確立のための基盤作りに大きく貢献した。

しかしこの法家一色の政治に対して他の儒家たちは反発した。紀元前213年、博士の淳于越(じゅんうえつ)が始皇帝の政策を暗に批判し、殷・周時代の封建制を賛美して主張したことがきっかけで、李斯は始皇帝に学者たちが昔の先例を引いて今の政治を批判していると指摘し、弾圧を進言した。

始皇帝はその主張を容れて、挟書律(きょうしょりつ)を制定し、医療書や農業書などの実学書以外の書物の所有を禁じた。これにより、民間で所蔵されていた詩経(しきょう)、書経(しょきょう)、諸子百家(しょしひゃっか)の書物は焼き払われた。これが悪名高い「焚書・坑儒(ふんしょ・こうじゅ)」の事件のうちの「焚書」である。

 

始皇帝の死後、李斯は宦官趙高(ちょうこう)に弱みにつけ込まれ陰謀に加担し、胡亥(こがい)が二世皇帝に即位すると、その後国内は大いに乱れた。

最期は趙高に欺かれて二世皇帝の怒りを買い、処刑された。

 

<横山光輝史記>

第23話~登場。

 

<キングダム>

呂不韋四柱の一人として登場。

国内外の法に精通しており、“法の番人”の異名を持つ。

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