斉の桓公:セイノカンコウ

生没年 ?~紀元前643年
時代 春秋時代
所属国

斉の桓公(せいのかんこう)は中国春秋時代初期の斉の君主【在位前685~前643】

姓は姜(きょう)、名は小白(しょうはく)

 

斉の14代君主襄公(じょうこう)は暴君として人々から恐れられていた。

命の危険を感じた襄公の弟の糾(きゅう)は管仲(かんちゅう)とともに魯へ、同じく弟の小白(のちの桓公)は鮑叔(ほうしゅく)とともに莒(きょ)へ亡命した。

その後、従兄弟の公孫無知(こうそんむち)によって襄公は暗殺され、公孫無知は斉公に即位するが、公孫無知もまたすぐに暗殺された。

 

公孫無知亡き後、小白と糾は王位を争うこととなり、この争いに勝利した小白は即位して斉の16代君主桓公となった。

桓公は糾とその後援の魯軍を討つために魯に兵を進め、圧倒的な強さで窮地に追い込んだ。

そして魯陣に使者を送り「兄である糾を自らの手で殺すのは忍びないから、そちらで始末してほしい。管仲は自分の手で殺さねば気が済まぬので、身柄をこちらに引き渡してほしい」と命じた。

初めは管仲を処刑しようと考えていた桓公だが、しかし鮑叔に「わが君が斉の君主であるだけでよいならば、この私でも十分補佐できましょう。しかし、天下の覇者になるおつもりならば管仲は必要な人物です」と説得され、管仲の処刑を思いとどまり斉の宰相とした。

宰相となった管仲が政治改革と富国強兵を推し進めた結果、斉は一大強国となり、後に桓公は初めての覇者となった。

 

覇者のうち代表的な5人を挙げて春秋五覇と呼ぶが、桓公は晋の文公と並んで斉桓晋文(せいかんしんぶん)と称され、その筆頭に挙げられる。

 

<横山光輝史記>

第2話に登場。

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