中国春秋戦国時代年表

紀元前2500?年頃黄帝(こうてい)、顓頊(せんぎょく)、帝嚳(ていこく)、堯(ぎょう)、舜(しゅん)の五帝が支配した神話伝説の時代
紀元前2000?年頃」始まる
(中国最古と伝承される王朝。「史記」などの文献に登場するものの、考古学的な裏付けがないことから伝説として扱われていたが、近年の発掘や研究により実在した可能性が高まりつつある)
紀元前1600年頃」始まる
紀元前1046年頃武王が太公望(たいこうぼう)、周公旦(しゅうこうたん)らと牧野(ぼくや)の戦いで殷を滅ぼす(殷周革命)

」始まる
紀元前771年申侯(しんこう)が異民族の犬戎(けんじゅう)と連合して都の鎬京(こうけい)を攻め落とし、幽王を殺害
ここに西周は滅びる

廃太子されていた宜臼(ぎきゅう)が平王として即位
紀元前770年周が洛邑(らくゆう)(現在の洛陽)に遷都
東周」始まる

春秋時代」始まる
紀元前722年魯国編年史「春秋」の記述がこの年から始まる
紀元前686年斉の第14代君主襄公【在位前697~前686】が公孫無知(こうそんむち)の謀反によって殺害される
紀元前685年斉の第16代君主桓公【在位前685~前643】即位
鮑叔(ほうしゅく)の推薦により管仲(かんちゅう)を宰相に迎え、富国強兵に務める
→関連故事成語「管鮑(かんぽう)の交わり
紀元前667年斉の桓公が周王の命をうけて覇者と認められる
紀元前659年秦の第9代君主穆公(ぼくこう)【在位前659~前621】即位
紀元前655年晋の献公の寵姫驪姫(りき)が自分の息子・奚斉(けいせい)を太子として立てようとして、申生(しんせい)、重耳(ちょうじ)、夷吾(いご)の追放を謀る(驪姫の乱
申生は罠に嵌められて自殺、重耳と夷吾は他国へ亡命する
紀元前651年斉の桓公が諸侯と葵丘(ききゅう)で会盟し覇業を完成する
紀元前645年斉の宰相管仲死去
紀元前638年宋の第20代君主襄公【在位前651~前637】は桓公の死後の斉の混乱に乗じて覇を唱えようとするが、楚が反発して攻め上り泓水(おうすい)にて宋を破る(泓水の戦い)
→関連故事成語「宋襄(そうじょう)の仁
紀元前636年重耳が19年間諸国を放浪したのちに帰国して、晋の第24代君主文公【在位前636~前628】として即位する
紀元前632年晋の文公が城濮(じょうぼく)で楚を破る(城濮の戦い)
践土(せんど)で諸侯と会盟して覇者となる
→関連故事成語「三舎を避ける
紀元前627年晋の第代25君主襄公【在位前628~前621】が淆(こう)で秦を破る(殽山(こうざん)の戦い)
以後二国の関係は悪化(紀元前626年に彭衙(ほうが)の戦い、紀元前624年に王官の戦い、紀元前623年に新城の戦いが起こる)
紀元前623年秦の穆公が西戎(せいじゅう)を征伐し、自国の領土を拡大
西戎の覇者となる
紀元前614年楚の第6代君主荘王【在位前614~前591】即位
→関連故事成語「鳴かず飛ばず」「絶纓(ぜつえい)の会
紀元前607年鄭の公子帰生が楚の命を受けて宋を攻める(大棘(たいきょく)の戦い)
宋の宰相華元(かげん)はこれを迎え撃つが、食べ物(羊の肉)の恨みから捕虜となる
紀元前606年楚の荘王が洛陽で「鼎(かなえ)の軽重を問う
紀元前605年食べ物(スッポン)の恨みが原因で鄭の第12代君主霊公【在位前605~前605】が子公と子家によって殺害される
→関連故事成語「食指が動く
紀元前597年楚の荘王が晋を邲(ひつ)で破る(邲の戦い)
荘王は周辺国に覇を唱える
紀元前589年晋が衛、魯、衛を率いて鞍(あん)で斉を破る(鞍の戦い、または華不注山の戦い)
紀元前579年宋の宰相華元によって晋と楚の和平成立
紀元前575年晋が楚を鄢陵(えんりょう)で破る(鄢陵の戦い)
紀元前552年魯国で孔子誕生
紀元前551年六卿(りくけい)が晋の政権を握る
紀元前546年宋の向戌(しょうじゅつ)の提唱で晋と楚の和平成立
斉と秦もこれを承認し、これらに従う小国が参加し列強諸侯13ヶ国の和平成立(弭兵(びへい)の会)
以後40年間休戦
紀元前536年鄭の子産(しさん)が史上初の成文法を制定
紀元前522年楚の第12代君主平王【在位前528~前516】が伍奢(ごしゃ)とその息子・伍尚(ごしょう)を死罪に処す
伍尚の弟・伍子胥(ごししょ)は呉へ逃亡
紀元前515年呉の公子光(こう)が即位し、第6代君主闔閭(こうりょ)【在位前515~前496】となる

孫武(そんぶ)が闔閭に仕える
紀元前506年呉が楚の都・郢(えい)を攻め落とす(柏挙(はくきょ)の戦い)
伍子胥は積年の恨みを晴らすため平王の墓を暴き、屍に鞭を打った
→関連故事成語「死者に鞭打つ」「日暮れて道遠し
紀元前505年越が呉に攻め入る(呉越戦争の始まり)

楚の申包胥(しんほうしょ)が秦の援軍を得て呉を破り、楚を救う
紀元前500年孔子が魯の大司寇(だいしこう)に就任
紀元前496年越との戦いで受けた矢傷がもとで呉王闔閭が死去
第7代君主夫差(ふさ)【在位前495~前473】即位
紀元前494年呉王夫差が越王勾践(こうせん)を会稽山(かいけいざん)で破る
→関連故事成語「会稽の恥」「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)
紀元前484年呉王夫差が斉を艾陵(がいりょう)で破る(艾陵の戦い)

伍子胥が夫差に命じられ自害
紀元前482年呉王夫差が黄池(こうち)で覇権を争う
その隙をついて越王勾践が呉に攻め入る
紀元前481年「春秋」の記述がこの年で終わる
紀元前479年孔子死去
紀元前473年越王勾践が呉を滅ぼし覇者となる

越の范蠡(はんれい)が引退(その後斉と陶で名を変えて商売を行い巨富を築く)
→関連故事成語「陶朱猗頓(とうしゅいとん)の富
紀元前465年越王勾践死去
紀元前453年晋陽の戦いが起こり、晋が韓氏、魏氏、趙氏によって三分される(三晋)
紀元前447年楚が蔡を滅ぼす
紀元前442年魏の文侯(ぶんこう)【在位前442~前395】即位
李克(りこく)、呉起(ごき)、楽羊(がくよう)、西門豹(せいもんひょう)らの人材に恵まれ魏の国力が盛んとなる
紀元前403年韓、魏、趙が周の威烈王(いれつおう)より正式に諸侯として認められる

戦国時代」始まる

歴史書「資治通鑑(しじつがん)」の記述がこの年から始まる
紀元前387年呉起が楚に移り宰相に就任
紀元前386年斉の大夫田和が国を簒奪(さんだつ)
田和は周の安王(あんおう)より正式に諸侯と認められる(以後の斉を、それ以前の斉と区別して田斉と呼ぶ)
紀元前384年秦が殉死を禁止
紀元前381年楚の悼王【在位前401~前381】死去
悼王の後ろ盾を失った呉起は楚の貴族たちによって殺害される
紀元前369年魏の恵王【在位前369~前319】即位
宰相公叔座(こうしゅくざ)は臨終の間際に公孫鞅(こうそんおう)を宰相とするよう遺言するも、恵王はこれを聞かず公孫鞅は魏を去る
紀元前359年秦の第25代君主考公【在位前361~前338】は公孫鞅(商鞅)を左庶長に任じ、新法を公布して国政改革を断行する(商鞅の変法(しょうおうのへんぽう)
紀元前353年桂陵(けいりょう)の戦いが起こり、斉の将軍田忌(でんき)が軍師孫臏(そんぴん)とともに魏を破り趙を救う
紀元前350年秦が咸陽(かんよう)に遷都
紀元前341年斉の将軍田忌が軍師孫臏とともに魏を破る(馬陵(ばりょう)の戦い)
魏の将軍龐涓(ほうけん)自害
紀元前340年秦の商鞅が魏へ侵攻し、自ら兵を率いて討伐(呉城の役)
紀元前338年秦の考公死去
商鞅は車裂の刑に処される
紀元前334年縦横家蘇秦(そしん)が燕の文公に合従策(がっしょうさく)を説き、後に6国(楚、韓、趙、魏、燕)の間に同盟を成立
→関連故事成語「鶏口(けいこう)となるも牛後(ぎゅうご)となることなかれ
紀元前328年縦横家張儀(ちょうぎ)が秦の宰相に就任
→関連故事成語「席巻(せっけん)する」
紀元前318年楚、韓、趙、魏、燕が合従して秦を攻めるが、秦の樗里疾(ちょりしつ)がこれを撃退(函谷関(かんこくかん)の戦い)
紀元前316年秦が蜀を滅ぼす
紀元前313年張儀が楚の懐王を説き、斉との同盟を破棄させる
紀元前312年楚の懐王が秦に出兵するが大敗する(藍田(らんでん)の戦い)

燕の昭王【在位前312~前279】即位
楽毅(がくき)や郭隗(かくかい)らの有能な人材を用いて燕の再興に務める
→関連故事成語「隗(かい)より始めよ
紀元前307年秦の武王が鼎のあげ比べを行い、脛骨を折って死去
後継者争いののち、第28代君主昭襄王(しょうじょうおう)【在位前306~前251】即位

趙の武霊王【在位前326~前298】が胡服騎射(こふくきしゃ)を取り入れる
紀元前299年楚の懐王が罠に嵌り秦で幽閉される

秦の昭襄王が斉の孟嘗君(もうしょうくん)を迎える
紀元前298年孟嘗君が秦より斉に逃げ帰り、斉の宰相に就任
→関連故事成語「鶏鳴狗盗(けいめいくとう)
紀元前296年趙の武霊王が中山(ちゅうざん)国を滅ぼす
紀元前293年秦の将軍白起(はくき)が韓、魏連合軍を伊闕(いけつ)で破り24万人を殺害
紀元前288年斉の湣王(びんおう)が東帝、秦の昭襄王が西帝を称することを提案するがすぐに取り止めとなる
紀元前286年斉が宋を滅ぼす
紀元前284年燕の楽毅が率いる秦、楚、韓、趙、魏、燕の6国連合軍が斉を攻め、斉都・臨淄(りんし)が陥落(済西(せいせい)の戦い)
紀元前283年趙の藺相如(りんしょうじょ)が「和氏の璧(かしのへき)」を持って秦ヘの使者に赴く
→関連故事成語「完璧」「刎頚(ふんけい)の交わり
紀元前279年燕の昭王死去、楽毅が趙へ亡命

斉の田単(でんたん)が「火牛(かぎゅう)の計」で燕軍を破り70余城を奪回

秦の昭襄王と趙の恵文王が黽池(べんち)で会談

孟嘗君死去
紀元前278年秦の将軍白起が楚の都・郢(えい)を陥落(鄢郢(えんえい)の戦い)
このため楚は陳へ遷都
紀元前273年秦の将軍白起が華陽(かよう)の戦いで韓、趙、魏の連合軍を破り13万人を殺害
紀元前270年趙の将軍趙奢(ちょうしゃ)が策を用いて秦軍を撃退(閼与(あつよ)の戦い)
紀元前266年秦の相国魏冄(ぎぜん)が罷免され追放、范雎(はんしょ)が秦の宰相に就任
紀元前264年秦の将軍白起が韓の陘城(けいじょう)を攻め、5つの城を落とし5万人を殺害(陘城の戦い)
紀元前260年長平の戦いが起こる

秦の計略により、趙の孝成王が将軍廉頗(れんぱ)を更迭し、趙括(ちょうかつ)を総大将に任命

秦の将軍白起が趙括率いる趙軍を兵糧攻めに追い込み大勝
投降兵40万人を生き埋めにする
紀元前259年嬴政(えいせい)(のちの始皇帝)誕生
紀元前258年秦の将軍王陵が趙都・邯鄲(かんたん)を包囲するも、楚の春申君(しゅんしんくん)と魏の信陵君(しんりょうくん)の援軍により大敗(邯鄲包囲戦)
紀元前257年秦の白起が昭襄王に命じられ自害
紀元前256年楚が魯を滅ぼす

秦が周を滅ぼす

劉邦(りゅうほう)(のちの前漢の初代皇帝)誕生
紀元前251年秦の昭襄王死去
紀元前250年秦の孝文王が父・昭襄王の喪が明けて正式に即位するも3日後に死去
紀元前249年秦の荘襄王が即位
呂不韋(りょふい)が秦の丞相に就任
→関連故事成語「奇貨居くべし(きかおくべし)
紀元前247年魏の信陵君が魏、楚、韓、趙、燕の5国連合の兵を率いて秦を破る
紀元前246年秦の荘襄王死去
秦王政即位

呂不韋は相国となり、まだ幼い政に代わり政権を執る
紀元前241年楚の春申君が魏、楚、韓、趙、燕の5国連合軍を率いて秦を攻めるが、函谷関で大敗(函谷関の戦い)
紀元前239年秦王政の弟・長安君(ちょうあんくん)が軍を率いて趙に攻め入るが、屯留の民を従えて秦に謀反する
紀元前238年楚の春申君が李園の刺客によって暗殺

秦の長信侯・嫪毐(ろうあい)が謀反を起こして失敗、車裂の刑に処される(嫪毐の乱
この一件に連座して呂不韋が失脚、李斯(りし)が登用される
紀元前235年呂不韋が毒を飲んで自害

趙の李牧(りぼく)が宜安(ぎあん)で秦を破る
紀元前233年韓から秦へ使者として韓非(かんぴ)が派遣されるが、李斯の陰謀により投獄され毒を飲み自害
→関連故事成語「逆鱗(げきりん)に触れる
紀元前231年趙の李牧が番吾(はご)で秦を破る
紀元前230年秦の内史騰(ないしとう)が韓を攻め滅ぼす
紀元前228年秦の王翦(おうせん)羌瘣(きょうかい)と共に趙を攻め滅ぼす
紀元前227年燕の太子丹(たん)が荊軻(けいか)を秦王政暗殺の刺客として送り込むも失敗
→関連故事成語「傍若無人(ぼうじゃくぶじん)
紀元前225年秦の王賁(おうほん)が魏を攻め滅ぼす
紀元前223年秦の王翦が蒙武(もうぶ)と共に楚を攻め滅ぼす
紀元前222年秦の王賁李信(りしん)が燕を攻め滅ぼす
つづいて王賁と李信が代を攻め滅ぼす
紀元前221年秦の王賁李信蒙恬(もうてん)が斉を攻め滅ぼす

秦が中国を統一秦王政始皇帝を称する
李斯を丞相に任命し、郡県制を実施
度量衡(どりょうこう)、貨幣、文字などを統一
紀元前220年始皇帝、第1回目の巡幸
紀元前219年始皇帝、第2回目の巡幸
泰山で封禅(ほうぜん)の儀式を行う
紀元前218年始皇帝、第3回目の巡幸
韓の張良(ちょうりょう)が博浪沙(はくろうさ)で始皇帝暗殺を謀るが失敗
紀元前215年始皇帝、第4回目の巡幸

将軍蒙恬が30万の軍を率いて匈奴(きょうど)を討伐、オルドスの黄河以南を制圧
紀元前214年万里の長城の建設が始まる
紀元前213年丞相李斯の献策により焚書令の実施、この翌年には儒者460余人が生き埋めにされる(焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)
紀元前212年阿房宮(あぼうきゅう)の建設が始まる
→関連語句「阿呆(あほう)」
紀元前210年始皇帝、第5回目の巡幸中に平台(へいだい)で死去

宦官趙高(ちょうこう)の陰謀で胡亥(こがい)が二世皇帝に即位
扶蘇(ふそ)自害、蒙恬自害
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