始皇帝:シコウテイ

生没年 紀元前259年~紀元前210年
時代 戦国時代~秦帝国
所属国

<史実>

始皇帝(しこうてい)は春秋戦国時代の秦の君主から、中国統一を果たして中国最初の皇帝となった人物。

姓は嬴(えい)、名は政(せい)

 

荘襄王(そうじょうおう)の子、長安君(ちょうあんくん)の兄。

※『史記』の「秦始皇本記」では「子楚(しそ)(のちの荘襄王)が人質となって趙にいたときに、呂不韋(りょふい)の妾を見初めて彼女を娶(めと)り、二人の間に政が誕生した」と書かれており、政は荘襄王の子としているが、「呂不韋列伝」では、呂不韋の妾が荘襄王に嫁いだときにはすでに彼女は身ごもっていたとされており、政の実の父は呂不韋であったと記されている。

 

中国戦国時代末期の秦の王で、紀元前221年に秦が中国統一を成し遂げると、中国最初の皇帝となった。

 

紀元前259年、趙の都・邯鄲(かんたん)で生まれる。

紀元前246年、父の荘襄王が死去すると、政は13歳という若さで王位を継いだ。

まだ幼い政に代わって呂不韋は政権を執るが、紀元前238年に秦の長信侯・嫪毐(ろうあい)が謀反を起こし、これに連座して呂不韋は丞相の職を罷免され失脚する。

紀元前227年、燕の太子丹(たん)が荊軻(けいか)を刺客として政のもとへ送り込むも暗殺計画は失敗に終わる。

 

紀元前221年、秦が中国を統一すると、秦王政は帝号を改めて始皇帝を称した。

度量衡(どりょうこう)(長さ、体積、重さの単位)、貨幣、轍(わだち)の幅、文字などを統一。

封建(ほうけん)制を廃して郡県(ぐんけん)制を実施。全国を36郡に分けて、郡の下に県を置いて皇帝任命の官吏(かんり)を派遣し、中央集権体制の基礎とした。

また、交通網整備を行い、道路の建設を積極的に進めた。

その他、驪山陵(りざんりょう)や阿房宮(あぼうきゅう)の建設、「万里の長城」の増設事業を行った。

紀元前210年、始皇帝は5度目の巡幸中に病にかかり、沙丘(さきゅう)の平台(へいだい)で死去した。

 

<横山光輝史記>

第21話~登場。

 

<キングダム>

わずか13歳で王位に就いた、秦国の若き王。

政が王位につくと、政の異母兄弟の弟・蟜(せいきょう)は政の庇護者である呂氏の留守中に、朝廷の二番手勢力である左丞相の竭氏(けつし)と組んで反乱を起こした。

命を狙われた政は黒卑村(こくひむら)に身を潜め、そこで主人公・と出会い行動を共にすることとなる。

乱世に終止符を打つため、誰も成し遂げたことのない中国全土の統一の大望を抱いている。

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